
新聞奨学生とは、大学・専門学校・予備校などに通うために、寮や下宿先を用意してもらい、仕事をしてお給料を得つつ学校に通うための制度です。
育英会で借りられる金額には限りがあるし、学部によっては全然足りません。
私が目指していたのは東京芸大だったので、何年浪人したら受かれるか分からない。私立美大なら1年で受かれたかもしれないけど、4年で1千万の学費を払える気がしませんでした(純粋な学費は800万くらい。でも画材や研究費・下宿代まで考えたら1千万は超えるんじゃないかな)。
予備校の費用はそもそも借りられたのか分からないけど、借りられたとしてもその間ずっと学費を借り続けるわけにはいかない。
借金するのも怖かったです。
新しい経験をするのが好きだったのもあります。
見たことのない世界を見たかった。
そういう世界を表現する仕事がしたかった訳だしね。
ホワイト販売所のタイムスケジュール
私が配属された先は、恐らく良い部類の販売所だったのではないかと思います。
説明会で聞いていたスケジュールと、あまり変わりはありませんでした。
一日の流れはこんな感じ。
- 2:00~6:00 起床・朝刊配達
- 6:00~8:00 仮眠
- 8:15~8:30 朝食
- 8:30~9:00 準備・通学
- 9:00~15:50 予備校
- 15:50~16:15 帰宅・準備
- 16:15~17:45 夕刊配達
- 17:45~20:00 集金業務
- 20:00~20:15 織り込み(チラシの準備)
- 20:15~20:45 夕食
- 20:45~22:00 お風呂など
- 22:00~2:00 就寝
今思えば、睡眠時間は細切れで6時間しかないし、食事を引いて自由になる時間が1時間15分しかない。
集金の無い時期は多少授業の準備や復習(私の場合は技法研究や作品研究)の時間はありますが、最後の最後まで会えない家が結構あって、時間は短くても結局ほぼ毎日行くような感じに。
ホワイト販売所でこれなので、ちょっとダメなところに当たったらもう学校とかほぼ不可能なんじゃないかと思う。
きつかったところ
夕刊の時間が学校と被ってだいぶきつい。
美大予備校は9-16時が授業で、15時半から作品を並べて講評、ってところが多いです。
人の作品を見て、製作者の考えを聞いて、先生の講評を聞くっていうのが個人的には予備校で一番重要だと思っているところ。そしてこの講評は、30分で終わることはほぼ無くて、17時頃まで続くことが結構あります(笑)。
ここを途中で抜けなきゃいけない日が多かったことは、だいぶダメージがありました。普通は夕刊の時間はもっと早くて、14時とか15時半には戻っている必要があることもあります。
私は運良く学校まで自転車で15分のところに配属されました。
それでも出たい授業に出られないことがとても堪えました。授業を受けるためにこんな思いをして働いているのですから。
これが学校が遠かったり、専業(学生ではない働き手)と同じように早い時間の夕刊を強要されるとなれば、もっと辛い思いをすることになるはず。
そしてこれは配属されるまでは分からなくて、一旦始まったら簡単には辞められません。
配属先の販売所は下宿ではなく、住み込みでした。
なのでずっと仕事場。
不着(入れ間違え・入れ忘れ)があったら寝ていても呼ばれるし、食事などもずっと一緒です。
ここは向き不向きが分かれるところでしょう。私はとても苦手で、苦痛でした。
奥さんに嫌われて、嫌味を言われ続けたからかもしれません。
心が休まることがありませんでした。
冷房がない。ねずみも出ます。
蟻もGもすごかった。ウッカリ窓を開けたまま出てしまって、配達から帰ったら部屋が羽蟻だらけなのを淡々と片付ける肝は育ちました。
熱中症にならなかったのは運が良かっただけだと思います。
良かったところ
滅多にできない体験ができたことは、人生の幅を広げる面ではやはり良かったです。
(どこへ行くことになるか分からない状態で)最低限の荷物だけ持って上京し、面談を受け、その場で配属先を決められ、そのまま知らない人(所長)に付いていって、暮らしが始まるだなんて、今はなかなか無い。
戦後の集団就職のようだと思いました。
実際、NHK朝ドラの『ひよっこ』で集団就職のシーンを見たときに、あの日の心細さを思い出してちょっと泣きました(笑)。もう10年以上経っているのに。
夜中に一人で、寒空の中、雪の中、台風や雷がすごい中、熱があろうが休ませてもらえず、という経験は本当につらかったと同時に、作品作りにはものすごい反映されて良いものを作れる時期がありました。
これは身体を壊してまでするべきことでは無かったですよね。
普通に考えたらきつかったところの部類の話です。
芸術家を目指す人は変態なので。
反省しています。
また、大学生ならば4年間頑張り通せば、就職の際に証明書?を出してもらえるようです。先輩は大学4年生で、就職が決まっていたようです。証明書の企業から見た価値が、どのくらいなのかは分かりません。
優しいお客さんには本当に救われました。
コーヒー代、と言って多めに支払いをくれたり、クリスマスの時期に靴下を戴いたり、お年玉を戴いたこともあります。
お金を稼ぐのがめちゃくそ大変、と思ってる苦学生なので余計に、それをこんな赤の他人の私に分けてくれるんだな、優しいな、嬉しいなと。
こんな大人になりたいと思ったものでした。
他の新聞の配達員さんとも仲良くなりました。
学校に通いながらだと相当きついけど、大人がこの仕事をしてたらどんな感じなんだろうとか、視野が広がる話ができて良かったです。
1年頑張った結果
結論から言えば、眠れなくなって学校へはほぼ行けなくなりました。半分弱くらいは頑張って行ったかな。頑張って行っても半分弱だと作品を完成させられなくて、身にならなかったです。
夏~秋くらいからだったろうか。
辛かったです。
大学受験はしましたよ。受験のために仕事の休みを取ろうとお伺いをしたら、渋られて本当に参りました。
受験できなかったら何のために1年働いたのかと(怒)。
まぁ受かれなかったんですけどね。
仕事だけは最後までやり抜きました。本当にギリギリでした。
秋ごろからは精神的にも何となくおかしくなっていて、身体がだるい、動けない、涙が止まらない、配達で高い場所へ登ったら変な気が起きる・・、と今思えばあの頃はもううつになりかけてたんでしょう。
とは言えきちんと学校を卒業して、良い思い出として語る方ももちろん居ます。
実際会ったことは無いし、ネットの情報です。
販売所の先輩は女性で1人だけ、きちんと大学卒業されて就職されていました。
あまり話さなかったので、実際の心境などは分かりません。
男性の先輩は1人、予定期間より短く切り上げて学校を辞めて帰ったようです。
私の育てた女性の後輩は、1年働くことはできずに途中で帰ったようです。
小さな販売所で1年だけだったので、仕事仲間はこれだけでした。
体力・精神力がある・いつでもどこでも眠れる(自律神経系が強い)が絶対条件。
どうしてもやるしかないんだともし相談されたら、こう返答するかなと思います。
元々私はそういう不眠的な傾向はありました。でも朝5時からの早朝アルバイトをしていたりとか、高校3年からは放課後の掃除もやってたら間に合わないことがあるギリギリさで予備校に通っていて、家路につくのは22時とか23時とか、あるいは朝から予備校行って帰ってバイト23時までとか、結構気力体力は持つ方だったんじゃないかなと思うんですよ。
まぁ気力に関しては前借りをしていただけで、重要なところで、やらなきゃいけないことができなかったりとか、弊害も出ていましたけどね。
でも思い返せば体力に関しても、高校での持久走も遅かったし、フラフラだったし、超痩せ型だったし、そんなにある方ではなかったんじゃないかと。女子ですし。
自転車配達だったので、体力的にも膝とか腰もきつかったです。
あったの気力(前借り)だけじゃん!!
お金の計算
ちゃんと1年働き通せたら貰える奨学金も含めて計算すると毎月20万円ほど。
家賃が掛からないので、実質で言えば24万くらいでしょうか。
細かく説明すると、毎月の手取りは9万円ちょいでした。食費・水道光熱費で引かれた分が4万5千円くらい。1年勤め上げたら70万円の奨学金(これを前借りする形で学校へ行く人が多いので、辞められない状態というんですね)が出るので、12で割って5万8千円。
9+4.5+5.8=19.3万円。
食費で結構引かれたので、手取りは少なかったです。2食しか出ないのに食費設定高い。
これだけ稼ぎつつ、学校へ9時ー16時、月曜から土曜まで通っていました。
普通のバイトだとなかなか難しいですよね。
だから、本当にお金がないけど学校へ行きたいと思ったら、これくらいしかない気がするのも分かります。
地方に住んでいたら、学費だけではなく家賃などの生活費も掛かりますからね。
それでも18時から23時まで、時給1000円で5時間毎日働けば15万円ですよ。こっちの方が絶対楽です。自分で身体に合う時間や職種を選べるし、職場が合わなければ変えることもできます。
育英会で少し借りれば乗り切れるのなら、私はこっちを勧めたい。
夜学など、行く学校の費用を抑えることだってできます。不服ではあるけれど。
多感で、将来のために投資すべき時期に、バイトに明け暮れるってやっぱりもったいないなと今でも思います。
仕方ないんですけどね。学校行きたかったですから。
でも私の場合は目指していたのが美術ですし、実力があれば学校なんて出てなくてもいい世界なんです。
きっと他にも道は沢山あっただろうと思います。
まぁでも芸術にどっぷり浸かりたかったし、芸大に行きたかったし、若い時期を捧げたかったから。ネットの情報も今みたいには無かった。
後悔しているのは、身体を壊したこと。
あんなに無理しなかったら、今も健康でいられたのかなと思うことはありますね(笑)。ほんと笑いごとじゃないですよね。
今でもこの時期の夢は本当によく見ます。
この時期の夢だけです、こんなに長期間うなされるの。
もしもう一度やらなきゃいけないなら、私ならこうします
それでももうやると決めているなら、せめて集金無しコースを。そのくらいの金額、借りたとしても大人になってから簡単に回収できます。
夕刊なしのコースがある販売所もごく稀にあるようです。
これなら学業に支障をきたしにくいかもしれない。授業に出られないとか何のために頑張ってるんだか分からない。
逃げられるようにします。先ほども書いたように、ハズレの販売所に当たったらもう努力だけではどうにもなりません。
ハズレではなくても、耐えられるかどうかは人それぞれです。
最初に奨学金を借りたら、簡単には逃げられない(実際には別のところから借りたりなどして逃げる道はあると思う。けど社会経験ない若者には厳しいですよ・・)。
逃げれば良かったのかもな、と時が過ぎて思うこともあります。
昼食と日曜の朝昼夜は食事が出なかったんですが、将来の学費のために、ここを節約してしまいました。
これちゃんと食べてたらもうちょっと風邪も引かなかったかもしれないし体力も持ったかもしれない。分からないけど、ここは削るところではないです。
ストレス緩和もちょっとはできただろうし。
結論です
向いてる人にとってはこの上ない制度だと思います。諦めていた学校へ通えます。心身ともに鍛えられます。ネット上には、良かったという方の投稿も沢山あります。
でも私にはきつかった。
その1年で明らかに顔が変わりました。大人の顔になりました。
1年で。
よく考えてください。過労死ラインは8時間労働に加えた時間外労働4時間6ヶ月で届きます。
1日8~10時間働いて、6~7時間学校で、しかも限界になってもやめられない状態で。
本当に大丈夫?
体験としては、貴重なものを得られました。これは今でも大切に思っていますし、価値観や人格に大きな影響を与えたと思っています。
もしかしたら、眠れさえすれば、苦しいながらも問題なく過ごせた1年だったかもしれません。それは今となっては分かりません。
だから絶対反対とは言いません。
この制度があって感謝している人も、沢山いると思います。
けれど、健康は本当に大事。後から後悔しても遅いのです。
よくよく考えて決めて欲しい。
自分自身を、どうか過信しないでください。
若い時期を、大切にしてください。